【稲川通信32】盆踊りを楽しむ

Published On: 2017年5月8日|Categories: 稲川通信|

夏のある夜、長岡城下の辻々で、盆踊りがある。たいがい辻には老大樹があって、その周りを長岡甚句にあわせて踊る。音曲は甚句だが、三味線・笛・木樽の太鼓が中心で、たまに鐘をならす者もいた。
継之助は盆踊りが大のお気に入りで、若いころから変装して参加したという。妹の安子の着物を借りて女装したり、鳥追いの笠をかむり、着流しに脇差を差しはさんだ姿で出掛けたこともあったと伝えられる。
継之助は長岡甚句を歌わせると抜群だった。やや高音の澄んだ美声が朗々と響いたという。
この盆踊りに武士の参加は禁止されていた。盆踊りは領民の無礼講として、二百年以上にわたり、武家の参加を許さなかった。継之助の参加は、もちろん、役人(足軽)にみつかれば、それなりの処罰があった。そんな危険を冒しても、盆踊りに参加したかったのは、生来の性癖か、それとも庶民生活を知り、政治というものの眼を養おうとしたのかもしれない。
長岡藩領では、この盆踊りに必ず長岡甚句が歌われた。甚句は武家踊りともいわれたが、その歌詞は、領民の悲哀を歌ったものが多い。

お山の千本桜、花はさくなる実は一つ、九百九十九はソリャ無駄な花
だいらうだいらう角を出せだいらう、角を出さねば代官所へことわる
お前だか左近の土手で、背中ボンコにして豆の草取りやる

(稲川明雄)