【稲川通信 1】前島村の開戦決意

Published On: 2014年12月1日|Categories: 稲川通信|

小千谷会談が決裂したのち、その翌朝、再度、政府軍の本営に継之助自身赴いている。しかし、その門前に来て、俄にきびすをかえし帰陣を急いだ。帰還については異説もあるが、浦の渡しで信濃川を渡り、前島村に着いたとある。そこには幼いころからの友、川島億次郎(後の三島億二郎)が警備の一兵士として駐屯していた。

川島億次郎の長男三島徳蔵は、このときの模様をつぎのように述懐している。

五月二日、河井氏(河井継之助)は小千谷に於ける岩村軍監との談判不調に終り、帰路信濃川を渡り、老父億二郎の駐屯せる前島の庄屋宅を尋ねられた。その時の話は極めて、重大事件であったと見えて、門前に大川市左衛門を見張らしめ、付近に何人も近づくことを許さずして、両人は川端に赴き、密談数刻に及んだということであるが、河井氏は欣然老父の手を握って、これで安心した、闔藩人なきに非ざるも、予のため藩のため、働く真の丈夫は、君を措いて他になし、事、慈に至る、ともにともに一死以て、藩公に報ずるところなかるべからずと、両人は前日の仇怨を忘れ、快善として堅い握手をした。(今泉省三著『三島億二郎伝』)

このとき、継之助は会談の模様を億次郎に語り「我が首と三万両をもって」和平に応ずるよう億二郎に迫ったという。億二郎は「君がそれほど我が藩を思うのであれば、一藩あげて対抗しようぞ」と握手をしたというのである。川島の人望が継之助に味方した。三島は戦後、このことをたずねられると不快の表情をしたという。