【稲川通信38】評定役随役に抜擢される

Published On: 2018年11月5日|Categories: 稲川通信|

長岡藩の評定役は、藩政全般を協議する。その構成員は家老・中老・奉行、それに民政をあずかる宗門・町・群奉行が加わる。随役とは、そのはやくに特別に関わることをいう。長岡藩では重要な役目だ。  それに継之助は任命されて帰国した。国元では当惑した。まだ部屋住みの青二才が評定所に出勤してきて、発言を要求したのである。家老・大目付とも驚愕(きょうがく)した。
「その言ふ所、高尚に過ぎ、時勢にそばず(中略)人望に乏しく、反かえって人心を傷うの憂ひあり」という。たぶん、堂々と自らの改革案を提示し、江戸の情勢を説明したのだろう。  家老の山本勘右衛門、大目付の三間安右衛門らは早速、江戸へ飛脚を立て、藩主の牧野忠雅ただまさにうかがいをたてる一方、「斯る場合は藩主より、一応国家老に相談あるべき慣例だ」と主張し、河井継之助が登庁するのを拒んだという。しかし、継之助は意に介さず出勤したが、忠雅の返答が「継之助の性格はやはり駄目か、では、いたし方ない」ということで、ついに数旬を経ずして、排斥され無役となってしまった。
 十代藩主牧野忠雅は、河井継之助の才をめでて登用したが、それは結局、継之助の排斥につながってしまう。ただ、藩庁は継之助に四、五年の経験が必要だと答申もしているから、実力を知ることになれば登用もありとしたのだろう。その後、継之助は門閥制度を廃止する改革案を提出しているから、双方の確執が深まり、継之助が孤立化してゆくことになる。

(稲川明雄)