【稲川通信33】継之助の読書好き

Published On: 2017年6月2日|Categories: 稲川通信|

継之助の読書好きは、長岡城下でかなり著名だった。妹の牧野安子が後年、語るところによれば、「兄は毎々、書物を汚すようでは、駄目だと申していましたが、書物は非常に好きで、宅にいました時分には、夜など四角の行灯の三方を囲って、一方を明るくし、夜遅くまで勉強していました。二十歳前後のことと思いますが、他所から書物を借りて、藩の祈?寺の玉蔵院に、毎日籠って、すっかり写し取ったそうです。この書物は、いま森家にあります」と述懐している。森家とは森源三家。
その玉蔵院は長岡城に接した東北の一郭にあった真言宗寺院。いまは同寺と縁のあった長岡市柏町の千蔵院が管理する歴代住持の墓碑群を残し、跡形もない。伝説によれば、巨大な本堂を有し、寺格・規模とも城下第一の寺だった。寺の正面に並んだ侍屋敷を玉蔵院町と称した。寺跡のおおかたはJRの線路敷きの下となっている。
その玉蔵院は若い藩士たちに文武修練の名目で本堂などを開放していたらしい。また、河井継之助が兵制改革をした際にも、練兵場として使われている。
継之助は玉蔵院が貴重な書物を写し取っている。すなわち、嘉永二年(一八四九)からの筆写である「続近世業語抄」「柴野彦助上書」「明朝紀事本末抜書」などである。
現在、継之助筆者の呻吟語など、現存する筆写本は三本にすぎないが、河井継之助の人間形成を知るうえで、貴重な資料である。

(稲川明雄)