【稲川通信22】 出生時刻に二説あり
継之助の出生時刻には二説ある。つまり、文政十年(一八二七)一月一日の暁七ツ時と同日の正午という二説である。その二説の出どころは、いずれも郷土史家の今泉鐸次郎・省三の父子研究家だ。
父の今泉鐸次郎は畢生の書である『河井継之助傳』を著している。現在、河井継之助研究は、この書によっているといっても過言ではない。
『河井継之助傳』では、出生は暁七ツ時だ。ところが、その令息である今泉省三は、その著作『忘却の残塁』で「今泉木舌氏(父・鐸次郎)によれば、継之助の生まれたのは暁七ツ時・午前四時としているが、一説に午の刻、すなわち正午ごろともいわれている」と述べている。この出典は不明だが、郷土史家独特の取材の中での史実かもしれない。たった八時間の差であるが、この二説を考え合わせると、継之助に対する家族の期待というものが伝わってくる。
(稲川明雄)