【稲川通信18】継之助の屋敷跡

Published On: 2015年7月10日|Categories: 稲川通信|

ほんの最近まで、河井継之助の遺族が建てた屋敷が残っていた。戊辰戦争前の河井屋敷は戦火で焼失してしまったから、再築したものである。

長町一丁目の入り口に継之助の屋敷があった。今はないが、小路の右角に二本の松があった。玄関から入ると客間があり、その奥に六畳と八畳間があり、またその奥に三畳間があって台所があった。この家は戊辰戦争後、継之助の父、代右衛門を母貞、そして妻のすがが潜やかに住んだ家であった。

北側に縁があり、広い庭園があった。それは河井家の昔の面影をとどめる唯一の庭であった。これは、今もその面影を失っていない。井戸の跡、灯籠、石畳、ちいさな樹木は、継之助の慈しみが今も残っているようである。

建物は近代的な建築に変わってしまったが、長町の小路は昔のままであるし、その両側には侍屋敷がつらなっていたことを想像させてくれる。

この地で継之助は生まれ育ったのである。河井邸の向いには、小林又兵衛の屋敷があった。文政十一年生れの虎三郎は、よく遊んだことであろう。

僧良寛がたずねてきたのも、長町の屋敷であった。父代右衛門は風雅を愛し、刀剣の鑑定に秀れた才能を持っていた。

号を小雲と称し、茶事を好んで聴松庵・虚白庵と称した。虚白としたところが面白い。

(稲川明雄)