【稲川通信11】八十里越

Published On: 2015年3月20日|Categories: 稲川通信|

八月五日、河井継之助一行は、八十里越の入り口である吉ヶ平に到着した。吉ヶ平には数件の旅宿があったが、そこには逃げ遅れた負傷者や長岡藩の女性や子供たちがいた。一行は一刻もはやく峠を越えたかったが、継之助が会津へ行くことを嫌ったため、そのまま庄屋の椿屋敷に宿泊することにした。

その夜、継之助は庄屋から、吉ヶ平に伝わる昔話を聞く。その厚意に身じろぎもせず聞く継之助。その伝説は「雨生池物語」というものだった。

美しい娘の住む家に一人の若武者が、血まみれになって「休ませてくれ」と言って入ってきた。娘はひと目で若者を気に入り、親切に介抱した。二か月もたつと傷が癒いえて若者は一人で山に入り、カモシカや熊を獲ってきた。ある晩のこと「大変、お世話になりました。明日の朝、夜明け前にここを出なければならなくなりました」と娘に告げた。娘は突然なことで泣きくずれ、何もいえず、母に相談した。母は「お前の腹には、あの侍の子供もいるから、きっと帰ってくる。だから赤いキネシリの玉をあげるから、針で衣のすそに縫い付けておきなさい」といった。二人はその晩、眠りについたが翌朝、若者はもういなかった。そこで娘は糸を頼りに探すと、糸は林の中の雨生が池の中に消えていた。すると天がにわかにかきくもり、黒雲がわき、やがて大蛇が立ちあらわれ「私は助けていただいた池の主です。ここにくる前に蛇に毒針をさされ、命ももはやこれまでです。私の子供を大切に育ててください。生まれてくる子供の脇の下には蛇のウロコが三枚あります」といって姿を消した。
やがて、娘に子供が生まれ、立派に成長して五十嵐小文治と名乗る武将となった。

という伝説である。この話を神妙に聞く継之助の胸中を察してみると哀しくなる。

(稲川明雄)