【稲川通信 8】今町の戦い
この日、河井継之助は「紺飛白(こんがすり)の単衣(ひとえ)に平袴(ひらばかま)を着け、大座の下駄を穿(うが)ち、旭を画ける竹骨の軍扇を手にし、挺身弾丸雨飛の間に馳駆ちくして諸隊を指揮せり」という。
慶應四年六月二日、今町の戦いのときの河井継之助の颯爽(さっそう)たる指揮ぶりである。本街道を山本帯刀大隊長が率いる一隊がすすみ、河井継之助と会津藩の佐川官兵衛らの指揮する主力隊が、脇街道から西軍陣地の今町を攻撃した。今町は西軍の最前線の兵站(へいたん)地であった。西軍は広い越後平野に展開していて、今町は要の位置にあった。
五月二十七日、加茂本営にあった継之助は、今町攻略を企図し、栃尾方面にいる諸隊を、警備兵のみを残して、加茂町に終結させた。翌二十八日本営に諸隊長を集め、作戦案を呈示、今町を攻略し、つぎに長岡城奪還の意図を告げ激励した。
雨中を進軍し、本道を南に進む牽制隊が二日正午ころ西軍と交戦に入った。主力部隊は脇街道から、西軍の核心に迫った。
(稲川明雄)